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さかき原枝都は 

さかき原枝都は へのご連絡やその他……です。

短編小説 想いでの重み

短編小説NO1

人との出会いは数奇なものだ。

今日は久しぶりに天気がいい。もうあの暑い夏の日差しは柔らかく私を包み込む様だ。

 

秋の花、コスモスが時折かすめる風にその花を軸の弱さを強調しているかのように揺れ動かす。

 

夏に大きく天に向けて咲き誇ったあの「ひまわり」の姿はもうない。

「貴方を見つめている」確かひまわりにはそんな花言葉があったような気がする。

 

私の人生には大きな出会いが二つあった。

先に私の前から消えうせた旦那と言う存在の人。

そして二人で頑張った時間の流れ。

子供にも恵まれ、幸せという言葉を信じ前に進むしかなかったあの時。

時にその幸せはもろくも崩れ去ってしまった。

私に残ったのは、この家をと彼の分身の様な子供たちだけだった。

もう幾つの年月を私は重ねて来たんだろう。

 

もう……十分すぎる程の時間の中で、私はもがいていたんだった。

 

 

 

平屋の一軒家。少し広めの庭に面した縁側で、柔らかい秋の日の光を浴びている私。

ぽかぽかとした陽気に、しわになったおでこと鼻の頭に陽の光が差し込み少し暑さを感じなら。白と茶の猫(仮名)ミケを膝に抱いて背中の毛を優しくなでている。

 

ミケは私に背中の毛を撫でられるのがとても好き。いつもそうしていると目を細め首を下にしてミケの重さが膝の上に感じる。

 

何をする訳でもなく、ただ縁側で座り陽の光を浴びているだけの私。

孫娘がプレゼントしてくれたセーターを着て、気持ちよさに目をつむると

目に出てくるのは、孫たちの笑い声とその笑顔。

 

最近はみんな大きくなって・・・・お年頃というんでしょうね。あまり時間が取れなくて顔を見る機会がめっきりへってしまった。

でもあの子たちの小さい頃のかおは今でも目に焼き付いている。

そして私は、あとどれくらいまであの子達の傍にいてやることが出来るんだろう。

そんな事を心の片隅に密かに抱えながらやがて来る、時分への旅立ちの日に備える。

 

今まで本当にいろんなことがあって起きてそれを乗り越えて来た。

でも今はそれは辛い思い出のはずなのに、なぜか懐かしい思い出に変わっている。

 

人は生きている内にめいいっぱいの苦悩を背負いそれを通り過ぎて、自分の終わりにはその苦悩というものが、自分が生きて来たあかしだと言う懐かしい想いになって旅立っていけるんだと感じるようになった。

 

だから・・・多分。もうじき私はその懐かしい思い出をいっぱい背負いながらこの世界に別れを告げなければならないんだろうと感じている。

 

それは、いつかは解らない。でもそんなに遠いことではないのは確かだと言える。



人を好きになる。

 

それは私にとって一番のイベントであって一番の快楽であったと思う。

この世界の人間はいいえ、生物は例外はあれども基本的には雄と雌の二種類から成り立っている。

 

人間も同じ男性がいて女性がいて互いに心を通わせてお互いの気持ちと想いを確かめ、探り合い。そして両者が求めるものが一致したときに一つの家族として成り立つ。

 

それは肌を触れ合い、心を触れ合いさせ子孫を残す行為につながる。

 

そして、人は必ずしも好きになるのが異性とは限らない。そんな特質も持ち備えている生き物だ。

 

子供を産んで、その後片割となった身に、次に来た出会いは同じ性の人だった。

私は彼女の生き方や行動に惹かれたのだと思う。初めは・・・・

でもその内側にある彼女の裸の心を垣間見た時、出会いという感情を一つも二つも上へ上げてしまっていた。

 

肌を触れ合う事は異性でなくても同じ。

ようはこの人に対する想いなのだから

私から誘った訳でもない、そして彼女から誘われたわけでもない。

お互いの想いが通じたからそうしたまでの事だった。

 

私たちにとってそれは、当たり前の様な感覚だった。

お互いの感情を欲望という感情以外のものに支配されながらそうなったのだから………

 

彼女と付き合う間、お互いに異性との触れ合いがなかったと言えばそれは否定される。

お互い、女性の性欲の強さに耐えるのがやっとだったのだから。

 

でも、そこでわかることもある。

私たちは特異体質ではないってことを。

誰だって、そうなれるんだってことを解った。

異性とは子孫を残すことが出来る。でも同性であればそれは不可能だ。

私はすでに子を産んでいる身だったが彼女はまだその経験はなかった。

そして、それを望もうともしていなかった。

 

でもよく言っていた。

同性でも子孫を残すことが出来るのなら、私は迷わずあなたとの子孫を残していただろうと。

 

だから解る彼女の気持ちが。痛いほどわかる。

 

私のこどもたちの面倒も本当に自分が生んだ子の様に想い接してくれていた。

よく子供たちからは、家にはお父さんはいないけど、お母さんが二人いるから大丈夫だと。

 

その言葉を聞くたびになぜかしら目頭が熱くなってくるのを今でも覚えている。

 

彼女が先に旅立ってからもうどれくらいの年月が経ったのだろう。

 

彼女がいなくなってから私は、もう人との出会いを求めることはなくなっていた。

 

あの、幼かった子供たちも共に独立をして、孫を彼女も抱けてから旅立ったのだから本望だったと思う。

 

もうじき、私も行くべきところに行かねばならないだろう。

 

 

そうしたら、また人との出会い・・・いいえ魂との出会いに胸をときめかせたいと願っている。



今日の日の暖かい光と時間の流れに感謝をしながら

 

…………もう二度と開かぬ目を静かに閉じる時が来た。