夏の再会
短編小説 「夏の再会」
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今年も、もうじきやってくる。
秋田県は大仙市大曲の夏の最大イベント。
大曲の花火の日が……
人口およそ四万人弱の町は、その日だけは一変する。
この日、大曲の人口はおよそ七十万人ぐらいまで膨れ上がる。
私もその膨れ上がる人口の一人に入る。
そして、秋田の夏はこの日を境にゆっくりと秋へと向かい始める。
私が始めて大曲の花火を見たのは今から5年前の二千十一年の年だった。
あの日私は、朝から母親と喧嘩をして、学校へと向かった。
母と私だけの二人きりの家族。
その日喧嘩のきっかけは本当に些細なものだった。
だが、その時を最後に私は二度と母と会う事が出来なくなった。
いきなり揺れだした大地。
大地の揺れは、海からもその脅威として襲いかかってきた。
かろうじて、逃げ切った私はその地獄の様な凄まじい波に飲み込まれる家々、そして人々を目にする事となった。
私がたどり着いた高台は、あと少しで海に流されるほどの所。
運がよかったのか悪かったのか。
それから三日間は、私一人だけがその高台に取り残されていた。
救助され、飲まず食わずの三日間の状態では体も動かず自分でも自分が解らないほど心に大きな衝撃を受けていた。
それから一か月間の避難所生活の末。
本当に変わり果てた自分の母と思われる遺体を目の前に、私のすべてのものが砕け落ちて行ってしまった。
高校2年の春まだ浅い、私の住む宮城の地での出来事だった。
親戚を頼り私はこの秋田県大仙市に来た。
そしてそこから高校へ通う事になる。
残りの高校への時間。
その時の私にとって、それは単なる時間の消化に過ぎなかった。
時の消化。
ただ時間さえ過ぎ去ってくれればそれでいいと感じていた。
だから花火の日も、友達と行くふりをして一人町の中を歩きさまよい、大きく膨れ上がった人の波をあらがうかの様に逆らいさまよっていた。
「疲れた。なんだろう、本当に疲れた。これからの私には何があるんだろう」
そんな思いが、夜空に開いては儚く消えていく大輪の花の様に何度も私の心を襲っていた。
気が付くと、ちょっとした小高い川の土手を歩いていた。
ここからは家や木々が邪魔になってあまり花火は見えないんだろう。
「ドドーン」という轟音だけが響き渡る。
しばらく歩いていくと、その土手のまたちょっと小高くなっている所に一人の人影を見る事が出来た。
そのままその人の近くにまで行くと
目の前に大きく花開く夜空の大輪の花を本当にまじかに観ることが出来た。
思わず足を止め、その夜空に大きく花開く大輪を見つめていた。
「ねぇ、君。そこに突っ立てないで、ココあいているから座りなよ」
ふと私の下の方から若い男性の声が聴こえて来た。
少し広めのビニールのシートに座り、私の方を向いて語りかけてきた。
何もためらう事もなく私はその男性の横に座った。
「ここ、花火見えるんだよ。でも近くの木がじゃまで大きい打ち上げしか見れないんだけど……でも誰も知らない穴場なんだ」
腰かけると同時に彼は私に話しかけて来た。
でも、私は黙って花火を見ていた。
花火は花開いた後に音が振動となって私の体に響いてくる。
何かちょっと変な感じがする。
目にした光景が後から体に伝わる感じ……
まるで今の私を見ている様だった。
あの時見た悲惨な光景。
その光景はじわじわと時間が経つにつれて私の心を蝕(むしば)んでいた。
時間が過ぎて行けばいくほどあの、言葉にならない人の飲み込まれる光景や叫び声が、頭の奥底からあふれ出してくる。
思わず私は彼の横で頭を抱えて泣きじゃくった。
「どうしたの?」
そんな私を彼は柔らかい物腰の声で語り掛ける。
それにこたえるだけのことは出来ない。いいえ、答える余裕さえない状態。
発狂して気を失わない様にするのが精いっぱい。
それでも間をおいて花火は打ちあがる。
辺りが一瞬明るくなる。そして後から体に伝わる音の振動。
その薄明るさの陰に彼の優しそうな面影を感じる。
ふと彼の手が私の手に触れる。
いやらしさとか、強引さとか。そんなことは一つも感じなかった。
むしろその手の暖かさが、いっぱいになった私の心を和らげる。
黙って彼は私の手を優しく握ってくれた。
花火が終わるまで…………
「花火終わったね」
辺りは静けさと共に虫の声が響き渡るのが聴こえるようになった。夜露に濡れた草の陰からひっそりと……
秋田県大仙市地方の夏はこの花火の日を境にゆっくりと秋の色を次第に濃くしていく。
それと同じように私の心も次第に崩れていく。
冬に少し近づいた日に、秋田大学病院の精神科の病棟で私は時を過ごすことになった。
私は「PTSD 」 心的外傷後ストレス障害(しんてきがいしょうごストレスしょうがい )と診断された。
病院に来た時は、もう自分が自分である事も解らないほどの無気力感に陥っていた。
入院して一か月。その日は冬の秋田市では珍しいほど天気が良くぽかぽかとした陽気の日だった。
大きな窓ガラスを通して、その陽の光は椅子に座り込む私を優しく包み込んでくれた。
「暖かい……」ふと口ずさむ言葉にあの時の彼のあの暖かい手の温もりがよみがえる。
「蒔野 巳美(まきの ともみ)さん。今日はとても暖かいですね」
そう言って通りかかった私の主治医の助手先生が、隣の席に座りそっと私の手を握ってくれた。
その時感じた彼の手の温もり。
それは、あの時の。
花火の時の彼の手の暖かさと同じだった。
横にいる彼の顔を眺めるように見つめる。
「先生。もしかして……あの時の……」
「ようやく思い出してくれましたか。そうですよ、花火一緒に観ましたね」
彼の名は「杉村 将哉(すぎむら まさや)」ここ秋田大学医学部精神学科の医員。まだまだ駆け出しの彼は教授からの指導の下私の担当もしている。
何故かわからないが彼の声を訊いていると何かが和らぐ。
「少しづつですけど蒔野さん落ち着いてきましたね。良かったですね」
少し子供っぽいあどけなさを感じる彼の顔は、白衣を着ているから医者の様に見えるけど、白衣を脱いだら………
思わず想像したら少し笑えた。
「どうしました?私の顔に何かありますか?」
不思議そうに彼は私の顔を覗き込む。
それからだったんだろう。
私の心は次第に変わってきた。
退院する時、杉村先生に
「また、一緒に花火見てもいいですか」
と小さな声で訊いてみた。
彼はこっそりと
「もちろんですよ。でもあの場所は二人の秘密ですからね」
そう付け加えてくれた。
あれから私の時は、瞬く間に流れ出した。
高校を卒業して、私も医学の道を進んだ。彼と同じように精神学科を専攻して……
わたしを襲ったあの心の病は実はまだ私を苦しめている。
だから、私と同じように苦しんでいる人を、あの時の恐怖を少しでも……私も経験したあの恐怖と苦しさ、そして悲しみを乗り越えるために。
同じ境遇の患者さんのためでもあると同時に、
それは自分のためでもあるのだから。
あれから六回目の大曲の花火。
私はその日だけは必ず時間を何とか工面をして、あの場所で彼と共に毎年花火を目に焼き付けている。
毎年彼はあの場に一人来ている。
今年も彼は来ていると思う。
でも……毎年思う。
彼の横に座る人は私なんかでいいんだろうかと。
もしかしたら今年は誰かいるんじゃないだろうかと。
土手を歩き、薄ら明かりを頼りに彼の元へ静かに向かう。
……もし、今年、彼の横に誰か人影が見えた時
私は足を止め、そのまま引き返すつもりだった。
毎年、彼の姿の横に誰かいるのか……そうしたら、もう私は彼の事を忘れよう。
わたしも今は精神科学科を専攻する身。
以前の私の様にもうそんなに弱くは無いつもりだった。
でも毎年土手を歩くたびに、彼の元に向かうたびに、心臓の鼓動は高鳴りを感じていた。
一年に一度だけの二人だけのあの場所での再会。
今年も出来るかな………
…………来年も、私はこの花火を彼と一緒に観ることが出来るんだろうか。
そんな想いが高鳴る。
ゆっくりと土手を歩き、そのちょっと下を見つめる。
夜空に咲く大輪の花の光が彼を映し出す。
今年も彼は一人だった。
そっと、近づき
「そこの席、まだ空いていますか」と囁く様に彼の後ろから問いかける。
彼はゆっくりと、私を見つめながら
「ああ、開いているよ。君のためだけに……僕のこれからの生涯ずっと君のために空け続けているよ。この日だけじゃなく毎日の日々僕の隣の席はもう君の席だよ」
私はまた彼の横で涙を流した。
あの初めての時の悲しい涙なんかじゃない。
幸せがあふれ出てくる時にも、涙は止めることが出来ないんだから………
今、夜空に花開く光は私たちの希望の光に見えている。