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Emaergency Doctor 救命医 Ⅶ(7)

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 Emaergency Doctor 救命医 Ⅶ

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人は出会いの数だけ別れの数がある。
その出会いがどんなに自分の人生に関わろうとも必ず別れは訪れる。
そして、いずれやってくる別れも突如に来るのか、それとも静かに忍び寄るのか……それはその時にならなけらばわからない。

気持ちと心の決別は死を受け入れる事よりも辛いことだった。
愛する人との別れ。
永遠の別れ。
愛したまま自分の前からその存在を失くすことは出来なかった。

だが人はその悲しみから逃れるすべを一つだけ持ち備えていた。俺はその時その一つにすべてを捧げようとした。
その心に残る思い出と言う心の想いを封じ込めるために。

自らその別れを封じ込め、想いと言う心の共存を拒んだのだ。
彼女の事をこの心から忘れ去る事が今の自分に課せられた使命であるかのように。

 

 

「石見下《いわみした》君を楽にさせてあげなさい」そっとつぶやく様に言った。
その声と共に俺の手はまゆみの心臓から離れた。

それは、まゆみの死を認めた事だった。

その時俺は本当に死と言うものに向き合ったのだと感じた。


霊安室で静かに眠るまゆみのその姿を目にしながら、一言づつ語りかけた。
ただ静かに眠るまゆみの姿。いつもと変わらないあの寝顔のあの、きれいなまゆみの顔。いつもと変わらない。何一つ変わらない。まゆみは、今ただ眠っているだけだ。

「今日は少し疲れているみたいだね」
「昨日は当直だったんだろ」
「今日のオペ、うまくいって良かったな」
「なぁ今度、新しく出来たあの店行って見ようぜ」
「誕生日何かプレゼント欲しいものある?」

「……」
「なぁ、そろそろ結婚しないか……」
「子供何人欲しい?」
「まだ早いか……仕事もあるしな……」
「なぁ……まゆみ……」

「田辺君、もうやめて……」

俺の横にいた理都子が小さな声で言う。

いくらまゆみの傍で俺が語り掛けてもまゆみは何も返してこない。
こっちを見て微笑んでもくれない。
冷たくなったまゆみの手を握り、あの暖かさを思い出す俺の心の中の描写。
そうすでに俺は心の中であの血の通った、生きていた時のまゆみの姿と体の暖かさを思い出していのだ。

気持ちはわかる。そう言った上司でもある指導医。
それでも現にまだ俺の心の中ではまゆみは生きていた。

出棺するまゆみの姿を目の前にしても、葬式の時も……
まゆみはまだ俺の中では生きていた。


だが、あの緊急搬送された女性の処置を行いその命を助けられなかった時、俺の中にいたまゆみの姿が消えて行ってしまった。
それからだった。
あそこで、北部医科大学病院で俺の居場所はなくなった。

「ごめん、田辺君。辛い事思い出させて……」
理都子は俯きながら言った。
「いや、もう過去の事だ。今は……」
「……そ、それでも今でも姉さんの事愛している。そうでしょ、田辺君」
返事はしなかった。

「今日ね。あなたのディスクの下に落ちてたの、あのノート」

それはまゆみが綴っていた日々の医療ノート。

「私、あんなものがあるなんて知らなかった。姉さんが毎日その日行った事をあんなに細かく書き残していたなんて知らなかった。黙って見た事は謝るけど、その時思ったわ。やっぱり敵わないなって」

俺は言葉が出なかった。

そうだ、まゆみにはかなわない。
あんなにも強い人とは思ってもいなかった。
俺にあのノートが託された時俺はまゆみが言ったあの言葉を思い出していた。

「あなたは外科医には向かない。まして救急なんてもってのほか……」

まだ付き合い始めて間もない頃だった。
正直少し腹立つ気持ちがなかったと言えば嘘になるだろう。
俺はその時、その答えを見つけようとはしなかった。いや、見つける事さえも出来ないほどまだ未熟だった。

北部医科大学病院で居場所がなくなった俺はまるで抜け殻の様だった。
正直メスさえ握る事も拒み始めていた。
メスを握るその手がいつも小刻みに震え、出血するその患者の姿を見るたび、あのまゆみの姿が目に映る。

そして、俺に見せたお袋のあの最後の笑顔が再びまた俺の前に現れる。

同期のフェロー達からも相手にされなくなり、ナースからは俺の存在は消えうせていた。
むろんそんな俺を見かねた指導医はそれ以来、俺の存在すら現場から消し去ってしまっていた。

やはり、俺には外科医は向かない。
人の死を即座に受け入れ、そして見極めなければならないこの過酷な現場に俺は恐怖させ感じるようになっていた。

そして、俺は自分もこの状態を認めることでけじめをつけようとした。
「辞表」と表に書かれた封筒を持ち指導医にその封筒を渡した。
指導医は何も言わずその辞表をうけとり、。

「残念だよ」と一言だけ……言った。

 

それから数日後俺は当時北部医科大学第3外科準教授「常見《じょうみ》 晃三郎《こうさぶろう》」から呼び出された。

多分辞表を出したことについての意思確認だろう。
常見准教授の部屋に行くと書類を目にしながら
「来たか、まぁそこの椅子にでも座って待っててくれ」
一向にその書類からは目を離そうとはしない。それどころか俺が待っていることなどおかまなしに自分の仕事に没頭していた。
 意思確認だけのことだろう。ならば忙しい准教授の時間を俺のためにわざわざ裂くこともあるまいのに。
だが、俺から口を開くことはなかった。大学病院と言うところは上下関係について言えば非常にデリケートな組織体だ。まぁ例えるなら軍隊、までは誇張しすぎかもしれないが、こんな下位の俺が先に自分の意だけを伝え立ち去ることなど常に反することくらいの事は知っている。
今はただ彼が、俺に声をかけるのをひたすら待つしかない。

しばらくして、常見准教授が自分の席を外し窓を少し開け、その白衣のポケットに忍ばしておいた煙草をくわえ火を点けた。
……確か、院内は全面禁煙のはずなんだか。まぁ監視カメラがある訳でもまして今、この部屋にいるのは俺と常見准教授の二人きりだ。俺が何も言わなければそれで済む事だ……まぁそんな事気にすること自体俺には無いのだが……

そんな俺を常見准教授はちらりと見て
「すまんなぁ、どうしても調べ物をしていると吸いたくなるんだよ。まぁ黙っておいてくれないか」
俺は返事をせず小さく頷くことで暗黙の了解と言う意を返した。


常見晃三郎、彼は准教授になるまでの間ありとあらゆる臨床を経験し、その体に沁み込ませた臨床の鬼とかつて呼ばれた医師だった。

どんなオペにも率先して立ち向かいその難易度をもろともしない術技は、まさに戦士が戦場で剣を振るうがごとく勇ましくそしてどんな時も絶対に戦う事を諦めない医師。そんな質実剛健だった彼も臨床時に積み重ねた論文が評価され、今や准教授と言うポストについている。

その今見る彼の面影は、こんな部屋でこもって研究にいそしむような感じではない事を俺は感じていた。

煙草を吸い終わると彼は窓を閉め
「すまんなぁ、待てせてしまって」
その表情は、昔の彼のうわさを今は一つも感じさせる事は無かった。実に温和な人柄であると言うべきだろう。
常見准教授は自分のディスクの引き出しから書類の入ったケースを取り出し、数冊のノートを手にして俺の前に座った。
そして目の前に置かれたノートとその間に挟まっていた、俺が出した「辞表」と書かれた封筒が俺の目に何気なく入る。

常見准教授は、その封筒を俺に差し出し
「これは君のものかね」と問う
その差し出された封筒はまだ封は開けられてはいなかったが、俺は即座に頷き「そうです」と一言付け加えた。

「そうか」とため息にも似た言葉を吐き出し、今度はテーブル上にあるノートを俺に手渡した。
「これは……」俺は常見准教授に尋ねた
「まぁ、黙って開いてごらん」彼は静かに俺に言う。
そこに書かれている字を見るなり俺の心は悲しみに飲み込まれる。
その字、そこに細かに書かれている文字、それはまゆみの字だった。そこに書かれているもの、それはまゆみが行った臨床時におけるそのレポートだった。

ただ、その内容は、まるで新人の医者にその内容を教えるかの如く、解りやすく説明されていた。

そのノートを見ている俺に常見准教授は静かに言う。
「まだそのノートを君に見せるのは早いと思ったんだが、あんなものを出してくるとは思ってもいなかったよ。そのノートは石見下君が君の為に綴ったものだ。誰のものでもでない。田辺君、君に彼女のすべてを伝えるためにそして残しておくために書かれたものなんだ」

そしてもう一冊青い色をしたノートを差し出した。
そのノートを手に取り開く。冒頭のページに
「すい臓がん患者におけるその妊婦と胎児の推移」と書かれていた。

すい臓がん。お袋と同じ病名。そして、妊婦と胎児の推移……このノートもまゆみの字だった。