石坂洋二郎 著作 「青い山脈」を読んで
最近にになり、石坂洋二郎という作家を思い出した様に、その代表作である「青い山脈」を読もうと思い読了いたしました。
とても古い。といっては大変失礼ですが、昭和の軍事で固められた時代からの脱却をめざす、人々の心の在り方を旧女学校である生徒と教師、そして父兄を通し、人を恋することは何を意味するのだろうかと問いかけるような感じがしました。
今、この21世の時代、恋愛というすごく当たり前の事が。男性が、女性が、異性を好きになる。そんな当たり前の事が公に出来ない時代です。
でも時代は固定化された今までの考え方から、民主を主体としたいわば、自分の想いを自由に表現できる時代へと移り変わろうとしていました。
それは、今まで押さえつけられていた想いという言葉を心の中に仕舞い込んでいた時代が終わったと言う事を意味しています。
逆?というのだろうか、近い表現をすれば「言いたいことがあれば言えばいい。想いがあるのならそれを思い切って表現すればいい」という事にもつながります。
この物語は何も恋愛だけを主としている訳ではなかった。
今の子供たちには考えいや、想像もつかない社会の中で、生まれもがき苦しんでいる人たちを新たな道へといざなうかのように表現されていると思います。
ストリーの発端は、二人の若き男女の行動から始まります。
表で、二人肩を並べて道を歩くことすら、世間ではいろんな憶測が飛び交う時代。でもこの二人はそんな事些細な事だと感じていました。
だが、新子が通う女学校で起きた恋文騒動を皮切りに、男と女の立場のあり方をこれから考えなければいけないと言う問題を、教師である雪子を通しその自分たちの想い・・・いいえ、考え方を改める必要性があると気づき始めてきます。
事は次第に大きくなり今でいうPTAですね総会の様な理事会が開かれます。
ただ、二人で、新子が用事がある易者へ六助と歩いていただけなのに。
本当に現代からすれば古い小説です。でもその表現は十分に現代でも適応していました。
いいえ、今だからこそ、あの思い切った(当時においても)表現は斬新さが感じられるんでしょう。
今はとても平和な時代です。子供は親がいて、親は仕事をして、家の事をしながら最愛の子供たちを見守りながら育てていける時代です。
でも、そんな現代でもいろんな事は起こっています。いじめであったり、社会の秩序の問題であったり、様々です。
かたちは違えども現代の私たちも実は、「青い山脈」の時代に似ているんじゃないのかなと感じています。
「人を好きなる自由それは素晴らしいこと」だと感じます。
でも自由という言葉に私たちは惑わされているんじゃないでしょうか?
本当の意味での自由とは何でしょうか?
もう一度考える事も必要だと感じました。
全てが、自由だからいいのか。現代の社会として秩序を越えなければそれは個人の自由として表現し出来るものなのでしょうか。
その秩序自体今は崩壊しつつあるように感じます。
私も小説を書きます。
でもその中では「自由」という言葉を信じて描いています。
恋愛という行動は個々のその人の想いの自由な表現の代名詞だと思います。その形をピュアなままで保ち続けられるよう人間は何かを求めているのではないのかと最近考えています。
自分が自分でありたい自由。そしてその自由とはあの軍事時代とは比較にならないくらい、狭まれたものであるのだから。
恋愛をする。
人を好きなる。
ほんとに自分の心と想いを分かち合う人と、共に子孫を残しその中でもがき苦しむ。その生き方はこの「青い山脈」のストリーそのもだと感じました。
現代ではこちらの本。とても入手が困難です。
今本屋さんで扱っている所はほとんど皆無に等しいかもしれません。
でもあの時代の若き青年たちが描く新しい想いへの思想を感じることは、今を生きる私たちに最も「今」必要とされているもだと感じます。
もし入手できるようでしたら、ぜひお読みくださいませ。
新たな時代をもう一度一緒に感じてみてください。