Emaergency Doctor 救命医Ⅴ
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Emaergency Doctor 救命医Ⅴ
石見下理都子、彼女とは北部医科大学で6年間共に大学生活を送っていた仲だった。当時俺は彼女の姉「石見下まゆみ」と付き合っていた。
理都子とは同期だったがまゆみは俺らより5歳上。少し年の離れた恋人だった。だが彼女からはそんな年の差を感じさせる雰囲気は何も感じさせなかった。
優しくそして明るく誰とでも気さくな性格。おまけに学内上位クラスの美人才女だった。
もちろん学内での人気は高く、教授からも一目置かれていた存在だった。そしてその姉を追うかのように理都子もまた学内においては成績上位の才女だった。
だが彼女は姉とは違いあまり人とは関わらないタイプの女性だった。
そう理都子は常に姉の後を追い、いつか姉のまゆみを超す事が目標だった。
「意外といい所に住んでいたのね」
「意外は余計じゃないのか。ただ広いだけでなにもない部屋だ」
「それでも男所帯にしては片付いているわ」
「そうか、ただ帰っていないだけだ。散らかりようがないだろう」
そんな事を言いながらふと理都子の顔を見ると学生時代の頃を思い出してしまった。
思わず
「そう言えば、学生の頃よく俺のアパートにも来ていたよな」
「そうそう、あのおんぼろアパート。エアコンも無くて、窓開けると蚊が入ってきて大変だった。良くあんなところに住んでいられたわよね」
理都子は懐かしそうに言う。
「何もそこまで言わなくてもいいだろ。あの頃は寝泊りが出来ればそれでよかったんだからな……ビールでいいだろ」
「ええ、ありがとう」
彼女にビールを渡し、プルタブを開けごくりとビールをのどに流し込む。
さて、この後の会話が頭に浮かんで来ない。
理都子は城環越の事を知りたいといい、この俺の部屋に来た。
このまま、今の会話を流していれば必ずまゆみの事に触れなければいけなくなる。
出来れば俺はまゆみの話題から逃れたい。
このまま昔の話はしたくはない……だがそれは避けられない事なのかもしれない。
無理にでも話題を変えたかった。
「あの硬膜下血腫の子助かって良かったな」
理都子はふと顔を上げ
「まだ予断は許さないわよ。意識が戻らなければそれは植物状態を意味しているわ。
例え意識が戻ったにせよあの子にはこれから重度の障害が一生のしかかる」
彼女は曇った表情で言う。
「もう野球をする事は……出来ないわ」
「……そうか」
しばらくの間二人は黙り込んだ。ガランとした空間を包み込む空気。
理都子をここに連れて来たのは失敗だったのか……
「どうしてあなたは城環越に移籍したの」
理都子がその空気を切り裂く様に言う。
それは……
やはり、彼女からまゆみを離す事は出来ない様だ。
俺が城環越に移籍した理由。
それは、まゆみを失ったからだ。
理由はただそれだけだ。
俺にとってまゆみの存在は俺の鏡のような存在、そして俺にないものを求られた存在だった。
総合外科医の道を歩むと決めたその時、まゆみが俺に向かって一言言った。
「貴方は外科医には向かない。
まして救命なんて尚の他、優しすぎる貴方の心では絶対にこの孤独感とプレッシャーには勝てない」と。
外科医は常にその結果が患者の人生を変貌させてしまう。
たとえ助かる命であってもそのタイミングや状況下において大きく変わってしまう。
俺は今までその生きるチャンスを逃した人々をこの眼の前で見送ってきた。
俺のこの手の中でその命の炎が燃え尽きるのを見てこの手で感じ体験してきた。
そのたびに思う。
何故、救えなかったのかと……
フェロー時代はどんなオペにも率先して加わった。一つでも多くの症例を実体験しこの俺の手に沁み込めせ経験をつぎ込んだ。
そしていつも俺の前にはまゆみのその姿があった。
「消さなければいけない命なんてどこにもない」
まゆみの口癖。
彼女はいつも俺に向かって言う。
どんな状況下にあってもその命を消すわけにはいかない。
例え絶望の淵にあっても私はその命の炎をまた燃え上がらせたい。
いいえそれが私の想い。
彼女のメスさばき、術技は華麗としか言いようがなかった。
何度となくまゆみとオペを行った。少しでも近づきたい。それが俺の本音だった。
むろん理都子も同じ想いでいたはずだ。彼女もまた姉のまゆみの術技を見て実践してその手に体に叩き込んでいた。
例え専攻する診療科目が違っていたにせよ、いく先は同じ外科医であるのだから……
だがそのまゆみ自身の心と体が実は崩壊しつつあるのを俺は気が付いていやる事させ出来なかったのだ。
俺は正直に俺が城環越に移籍した想いを言った。
「俺は、北部にいた頃まゆみのあの姿にあこがれていた。
医師として外科医としてのあのまゆみの姿に。
でも、俺は恋人でもあるまゆみの姿を見ることが出来ていなかった。愛する人の本当の姿を俺は見ていなかったんだ。
それに気が付いたのは……まゆみの葬式が済んで少ししてからだった」
理都子は下を俯きながら俺の話しを訊いていた、両手をしっかりと抑えながら……
俺はまゆみの葬式が済んでから、俺の中の何かが崩れ始めた。
今まで目標としていたまゆみの姿はもうこの病院にいはない。
いや、もうこの世には存在しない、ただの思い出と言う心の中の残像だけがいつも俺の中をさまよっていた。
「そうね、あの時のあなたはもうすべてを失ったかのように、ただその存在だけが浮遊しているような状態だったもの」
理都子が静かに言う
「そんな時だった。救急搬送されてきた女性、交通事故だった。大動脈破裂、開胸したとたん体内から血があふれ出て来た」
それまでの俺は、まゆみを失う前の俺には自信があった。
どんな症例もこなしてやれる。
いや、やれると言う自信に満ちていた。
まゆみに「あなたは外科医には向いていない」と言われたあの言葉を頭の中からそぎ取るように、俺は野心と言う固まりそのもだった。
搬送された女性の側胸部を開き出血した血を吸引し出血部を特定し側近の血管をクランプ。だが出血は止まらなかった。
俺のほか指導医もその時立ち会っていた。
急激に血圧は低下し、心拍は微弱になっていった。
俺はすぐさま心臓に手を添え心臓マッサージをした。その間、指導医は出血部を探そうとしたが……手を止めた。
そして
「田辺、もういい」と一言だけ言って術台から離れて行った。
「どうしてですか?まだ可能性があるじゃないですか。戻ってきてください」
心マを続けながら俺は指導医に怒鳴り込んだ。だが、その指導医から帰って来た言葉は、たった一言の言葉は
「もう無駄だ、無駄な事はしなくてもいい」
それっきり術衣を脱ぎ処置室を出た。
もう、俺の手も止まっていた。
まだ温かい血液にまみれた心臓から、俺は手を離した。
その時、もし、まゆみがいたら、まゆみだったら助けられたかもしれない。いや、まゆみは諦めなかっただろう。
まゆみだったら……
そんな言葉だけがその時俺の頭の中を駆け巡っていた。そして、その時初めてもう、ここには……まゆみはいないんだと知った。
そして、目の前に寝ているその女性を目にしたとき、救えなかった自分に憤りを覚えながら、まゆみが搬送されてきた時の情景がよみがえってきた。
あの時緊急搬送された。赤い血にまみれた……まゆみの姿を……